武蔵野進学セミナー新川教室

三鷹市にある学習塾です。

ぜんぜんぜん♪

こんにちは。武蔵野進学セミナー新川教室の吉田です。


君の名は。

相変わらずのヒットぶりで、先週の時点での興行収入は184億円。

ぼちぼち『もののけ姫』(193億円)の記録を更新するところまできています。

気がつけば僕も、このブログにて話題に挙げるのは、これで4度目になるんですね。

どうしてまたここへきて 『君の名は。』 なのかというと、

数回前に書いた「どうしてヒロインの三葉は髪を切ったのか?」の答えを知りたくて、

先日再びトーホーシネマズを訪れたからなのです。

公開から2ヶ月半が経ってなお、場内は満席。

いやあ、すごい。

リピーターも多いだろうなと思いながら、課題を抱えての2度目の鑑賞。

そしたらですね、全部わかりました。

なぜ三葉が髪を切ったのかも、3年越しの入れ替わりが起きたのかも、その他諸々の疑問疑念も全部。

それこそ、全全全部わかったんです。

その結果ですね、


  『君の名は。』 は、大変よくできたお話である。


ことが僕の中で確定しました。


1回目に観たときの感想として、なんとも微妙なコメントを残してしまいましたが、

とりあえず今は、全力で新海誠監督に謝りたい!

……という気持ちで一杯です。

とりわけラストシーンを僕は最初ものすごく低く評価してしまったのですが、

全全全部わかった上でみると、そのシーンはまるで、

村上春樹の 『四月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うことについて』 そのものだったのです。

それに気づいた僕は、エンドロールが終わってなお、しばらく座席から立ち上がれないでいました。

なんというか、こう、ある種の感激のために。

数分後、強烈な尿意のためにあえなく劇場を後にしましたが、

2回目の鑑賞であれほど評価がひっくり返った作品というのは、他に 『千と千尋の神隠し』 だけです。

うーん、さすれば 『もののけ姫』 が興行成績で抜かれるのも必然と言えるかもしれませんね。

『もののけ姫』で火がついた宮崎駿作品は、次作の 『千と千尋の神隠し』 でピークを迎えました。

新海誠作品は、果たしてどうなることでしょう?

そういう意味でも、今から次回作が楽しみですね。

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ドラえもんじゃないほう2

こんにちは。武蔵野進学セミナー新川教室の吉田です。


本日書こうと思っていたネタなんですが、、、

麻生先生と、まさかのまるかぶり!

という事態が発生しました。


というのも、つい最近の国語の授業中、ある生徒と話をしているとき、

「スタンドバイミーっていう映画、知ってる?」

と、半ば、まあけっこう古い映画だし、まず知らないだろうな・・・と思いながら聞いたところ、

「知ってる!」

と小学4年生の子が快活に答えてくれたのです。

小学4年生といえば、おそらく2006年生まれですから、

ちょうどスタンドバイミーが公開されて20年後に生まれている計算になります。

そんな子が、いわゆる‟名作″と呼ばれるアメリカ映画を知ってるだなんて、

映画好きの僕からすれば、嬉しいことこの上ないわけです。

思わず、

「えっ、ホントに!?」

と身を乗り出したところ、

「ドラえもんのやつでしょ?」

と、間髪入れずに一刀両断されてしまいました。

あー、そっちね。

いや、たしかに良い作品らしいとは聞いていますから、

僕もそのうち観ようとは思っているのですが、

できれば、のび太じゃなくて、リバーフェニックスの話がしたかった。


といわけで、このブログにて ‟ドラえもんじゃないほう″のことを語ろうと思っていたのですが、

それは麻生先生が存分に書いてくださったので、よしとしましょう。


それより、ここでひとつ問い質したいことがありまして、それは、

スタンドバイミーという映画は、どうして『スタンドバイミー』なのか? ということです。

観ればわかりますが、はっきり言って、およそ映画の内容とは関係のないタイトルなんです。

何回観ても僕は、タイトルと内容の間に、必然的な結びつきを見つけられません。

主題歌が「スタンドバイミー」だから、というのは答えになっていないと思うのです。

たとえそれが当時の制作者サイドの実情だったとしても。

タイトルというのは、内容を示唆したり、総括したり、方向性を決めたりするもののはずです。

そこへくると、‟じゃないほう″の方がよっぽど正鵠を射たタイトルと言えますよね。

スタンドバイミー。

そばにいてほしいのは、ドラえもんに決まっていますから。

しかきか

こんにちは。武蔵野進学セミナー新川教室の吉田です。


11月に入り、いよいよ秋の色が濃くなってきましたね。

秋が深まると、きまって浮かぶ一句があります。


  秋深き隣は何をする人ぞ


松尾芭蕉のあまりにも有名な句ですね。

あれ、「秋深し」じゃなかったっけ?と思われる人もいるかもしれませんが、「秋深き」が正しいようです。

僕もかつては「秋深し」だと思っていて、この句に対して大きな疑問を抱えていました。

それは、、、

秋が深いからって、なんで隣の人の行動が気になるんだよ!?

という疑問です。

「秋が深まる」→「他人の行動が気になる」という論理に必然性はあるのか?

もしそこに必然性がないなら、とても名句とはいえません。

だって、春うらら隣は何をする人ぞ でも、

夏盛り隣は何をする人ぞ でも、

冬籠もり隣は何をする人ぞ でもよいことになってしまうからです。

しかし、です。

本当は「秋深き」であるということを知ったとき、この疑問は手のひらに降りた粉雪のごとくさらりと解けてしまったのです。

秋深き、は文法的に言うと連体形です。

つまり体言=名詞を修飾する形ですから、「秋深き」を受ける名詞があってしかるべきなのですが、

 秋深き隣
 秋深き何
 秋深き人

どれもピンとこない・・・というか、意味を成しません。

だから、「秋深き」を受ける名詞は、この句の中に顕在化されていないことになります。

ということは、つまり、秋深きの後に、何らかの名詞が省略されていると考えるしかないのです。

わかりやすくすると、こういうことです。


  秋深き○○隣は何をする人ぞ


何が省略されているか、それは誰にもわかりません。

ですから、○○には、どんな言葉を補ってもいいわけです。

たとえば、夜だとしましょう。すると、

  秋深き夜隣は何をする人ぞ

(こんな秋の深い夜に、隣の人は何をして過ごしているのだろう)

となって、秋の夜長に一人寂しく隣家の人のぬくもりに思いを馳せている様子がありありと目に浮かびますよね。

いやあ、すごい。

何を入れてもいいんですよ?!

「秋深き空」でも、「秋深き部屋」でも、「秋深き道」でも。

補う言葉によって、俳句の描き出す情景も、醸し出す空気も変わってしまうんです。

どんなジャンルにおいても《余韻》を残す作品は評価されますけれども、

このように《余白》を残した作品というのは、そうそう無いのではないでしょうか。

いやはや、さすがは芭蕉。

彼に習って、余白のある人生を送りたいものです。

みなさんなら、芭蕉の残した余白にどんな言葉を補いますか?

秋の夜長、見返りのない思索に耽ってみるのも、悪くない《余白》の使い方ではないでしょうか。


「3度目の正直」は人任せで

こんにちは。武蔵野進学セミナー新川教室の吉田です。


最近、短い間にまったく同じ質問を2度されるという経験をしたので、ご報告を。


根本先生とメガヒット映画『君の名は。』について話していた時のことです。

「あの話の中で、一つだけわからないことがあって・・・」と根本先生が切り出しました。

根本先生がわからないこと?

逆に気になる。

一体どんなことだろう、、、と身構えていると、

「三葉(ヒロイン)はどうして髪を切ったんでしょう?」

と来ました。

・・・・・・

三葉が髪を切った? そんなシーンあったっけ?

なんとも情けないことに、僕はそのシーン自体を記憶しておらず、

そこから展開されるはずだった深い考察への入り口を閉ざしてしまう結果になりました。

期待に応えられず、ごめんなさい、根本先生。



その2日後。

幕張に住んでいるRADWIMPSファンの知人と久しぶりに会って話していた時のこと。

その知人は、新海誠の作品を観るようなタイプではないのですが、

音楽をRADWIMPSが手掛けているということで、『君の名は。』を観たんだそうです。

どうだった?と僕が尋ねると、

「すごく良かったよ! でも一つだけわからないことがあって・・・」

おや? どこかで聞いた前ふりだぞ。

まさか・・・

「どうして三葉は髪を切ったのかな?」

はい、来ました、やっぱりね。

だから覚えてないんですって、僕は、そこ。

情けない僕は、苦し紛れに、

「あれはきっとね、宮崎駿へのオマージュなんだよ」

と、適当ぶっこいておきました。

ちなみに根本先生にも同じこと言いました。

重ねてごめんなさい、根本先生。



でも実際どうなんでしょうか。

ヒロイン三葉が髪を切った本当の(心情的)理由。

気になります。

ここはぜひとも読解力の優れた方に『君の名は。』を鑑賞して頂いて、

客観的で得心のいく解釈を聞かせてほしいものです。

2度あることは3度あると言いますし、もう一度同じ質問をされたときのために、

きちんとした答えを用意しておきたいじゃないですか。


というわけで、大塚先生。

よろしくお願いしますm(_ _)m

縁は異なもの味なもの(本当は男女の仲についての言葉です、あしからず)

こんにちは。武蔵野進学セミナー新川教室の吉田です。


先々週でしたか、お気に入りのシャープペンシル、略してシャーペンが紛失しました。

僕は筆記用具には頓着のない方なのですが、そのシャーペンはなんとなく気に入っていたのです。

しかし、いくら探しても見つからないので、諦めて新品のものを購入することにしました。

たぶん何年ぶりってくらいにです。

吉祥寺のある文房具店で物色していると、かなり使い心地が良く、フォルムもスマートなシャーペンがありました。

でも高そうだな・・・と思いながら値札を見てみると、なんと200円!

なんという良心価格!

これは「買い」だと即決し、レジへ直行しました。

良い買い物をしたとほくほくしながら小銭入れをまさぐっていると、

金額を読み上げる店員さんの声が聞こえました。

「1200円になります」

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・え?

1000円多くない??


想像していた6倍もの金額を請求され、僕の頭は完全にフリーズしました。

しかし肉体は「財布から然るべきお金をとり出し、店員さんに支払う」という慣習に従い、

流れのままに1200円払ってしまったのです。

ああ、哀れなるパブロフの犬。

僕は悶々とした気持ちを抱え、件のシャープペンシル、略してシャーペンの値段を確かめるべく、

売り場へときびすを返しました。

200円。

確かにそう書いてあるように見えます。

200円。

何度見ても・・・・・・おや?

よーく目を凝らすと、200の前にかすれた文字があるように見えます。

さらに注意深く観察すると、そこに「1」と書かれてあった痕跡を、不服ながら認めることができます。

うーむ。

僕は迷いました。

1200円のシャーペン。

良いものには違いありません。

しかし、なにせ文房具には頓着のない僕です。

1200円は、とても大きな買い物です。

うーむ。

かと言って、おずおずとレジへ戻り、

「僕はこのシャーペンが200円だと思うから買おうと考えたのであって、

はじめから1200円と知っていたら買おうとすら思わなかったわけで、

だからさっきの会計はなかったことにして、もっと安いこっちのシャーペンを買うことにします」

なんて訴えるのは、なんともみっともなく、せせこましい振る舞いだなあとも感じます。

・・・・・・

・・・・・・

よしゃ。

俺ももう大人だ。

ここは思い切って、1200円のシャーペンを普段使いしてやろうじゃないか!

と、10分ほどの葛藤をくぐり抜け、ようやく結論を出したのでした。


いま振り返ると、何も1本12万するモンブランのシャーペンを買うわけでもあるまいし、

迷うこと自体、すでにみっともなく、せせこましかったなあと思うわけですが、

なにせ文房具に頓着がありませんので、どうかご理解を。


とまあ、このような顛末で1200円のシャープペンシル、略してシャーペンを持つことになったのですが、

縁は異なもの味なもの、とでも申しますか、

不思議なことに、そのシャーペンを使い始めたとたん、例の紛失していたシャーペンが見つかったのです。

ある生徒の授業中、その子のバッグのふちに引っかかっているのがチラッと見えたんですよ。

その子もまったく気づいておらず、2週間ほどぶらさがっていたものと推測されます。

いやあ、不思議なものです、まったく。

どうせ見つかったんだから、買い損じゃないかって?

いえいえ、それは違いますとも。

もし新しいものを買わなかったなら、そのお気に入りのシャーペンだって、きっとずっと見つからなかったのです。

僕はこういうものの考え方をします。

だから損なんてこれっぽっちもしていないのです。

むしろ、良い品物を思い切って購入するいい機会となったわけですよ。

それにしても、うーん、こいつは悩みますねえ。

使い慣れたシャーペン、(僕にとって)高級なシャーペン。

どっちを使ってやろうかな。

いやはや、贅沢な悩みです。

いっそ気分で決めましょう。

・それじゃあ、今日は高級な方を!

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・あれ?

ちょっと待って下さい。

今度は1200円のシャーペンがないんですが!?



えーと、、、

心当たりのある方、どうぞご一報下さい。